整体治療院の必須アイテム「トムソンテーブル」を徹底解明

HOME » トムソンテーブル発明秘話

トムソンテーブル発明秘話

トムソンテーブルはアメリカのクレイ・トムソンによって発明されました。クレイ・トムソンは生まれがカイロプラクティック発祥の地デブンポートの隣町だったこともあり、さらに父親がカイロプラクティックの矯正によって難を救われた経験もあったため、早い時期からカイロプラクティックに興味を持っていたようです。

クレイ・トムソンは医学や薬学に興味を持って勉強すると共に、機械工学や音楽にも興味を持つ多才な人物でした。アメリカが空前の大不況に陥った時にも自分で作ったブルーベリーを売って生計を立てたということですから、商才にも長けていたのかも知れません。若い頃に勉強したり経験した多くのことが、後に実を結んでトムソンテーブルの誕生に繋がるのです。

カイロプラクティックとの出会い

クレイ・トムソンが実際に自分でカイロプラクティックの治療を初めて受けたのは、30歳代のことだったようです。

クレイが患った重度の糖尿病という血糖値疾患が、一見なんの関係もないように思える脊椎のアジャストメントによって完治したという経験は、クレイがカイロプラクティック理論に心酔するに足る驚きだったようです。

その後、クレイ・トムソンがカイロプラクティックを学ぶためにパーマースクール(カイロプラクティックの生みの親、DDパーマーが創設した学校。)に入学したのは、クレイが36歳になった頃のことでした。

トムソンテーブルの誕生

パーマースクールは当時、創設者DDパーマーの息子のBJパーマーによって運営されていました。BJパーマーはカイロプラクティックの授業のみならず骨学や解剖学・化学などとともに、自らが考え出したカイロプラクティック哲学なども教えていたそうです。この哲学が結果的に教師や学生のカイロプラクティックへの情熱を高めて学校の団結を強めたのですから、BJパーマーの才能も並々ならぬものだったと言えるでしょう。

パーマースクールに入学したクレイ・トムソンはBJパーマーと懇意になると同時に、BJのカイロプラクティック哲学にも大変な興味を持つようになりました。後にBJパーマーが哲学の講義を行わなくなってからも、数人の仲間とBJの部屋へ押しかけてカイロプラクティック哲学の話を聞いていたことからも、そのことが窺われます。

クレイ・トムソンが今のトムソンテーブルの初期型を作ったのは、クレイ40歳頃のことだったと思われます。当時のパーマースクールにおけるカイロプラクティック理論では、施術対象とするのは第一頚椎と第二頚椎のみで充分と考えられていたので、クレイ・トムソンが最初に作ったテーブルも頚椎部分だけがドロップするものでした。

ドロップタイプの施術台はBJパーマーに称賛されることとなり、第一頚椎と第二頚椎のみのアジャストメントで足りると主張していたBJパーマー自身の口から、全身用のドロップテーブルを作ってはどうかとの提案がされました。パーマースクールでは、骨盤や仙骨などのアジャストメントを行ったら退学というほど独自のカイロプラクティック理論にこだわっていたので、BJ自身が他の部位にも使えるテーブルを作る提案をしたのは驚くべきことだったでしょう。

このBJパーマーの柔軟な発想から、現在のトムソンテーブルの原型となる全身タイプのドロップテーブルが生まれたのです。

 
トムソンテーブル&テクニック辞典